論文作成に関する注意


修士、博士の学位を取得するには学位論文を作成して 審査に通らなければいけません。 また、研究成果を認めてもらうためには論文にまとめて査読(審査)を経て 発表しなければいけません。 初めての論文作成ではしばしば数限りない問題点が生じます。 以下に気づいたことや情報をまとめておきます。 以下はあくまで当研究室の方針であって 他の研究室での指導とずれることもあるかもしれません。 一貫した考え方のもとではどちらが正しいということではないかもしれません (2014年4月30日記 / 以後ときどき追記修正)。

学位論文作成上の注意点

(1) 当研究室では原則として 修士論文は日本語で作成することを 推奨しています。たいていの学生は修士論文が初めて「論文」を作成する 機会となります。そのため、「論文の作法」や「論文の体裁」に関して 様々な問題が起こり直していかなければなりません。 また修士論文では「数学的な内容」についてもぎりぎりまで成長が続き、 締め切り時間に追われての闘いになります。 もし、さらに英語の問題が加わると問題点が多すぎて、指導する側も 学生の側も対処しきれなる恐れがあります。そして 本人以外の人には意味が理解できない 英語の文章が沢山あったり、文法や冠詞などの問題だらけの 論文は提出して欲しくないと思っています。 以上の理由より、制度上は修士論文は日本語でも英語でも どちらでもよいですが、当研究室では修士論文は日本語で取り組むよう お願いしています。成果を専門雑誌に投稿する場合には 修論の審査が一段落してから 英語で投稿論文を別途準備してもらうことになります。 ちなみに、博士後期課程に進学して課程を修了する場合の博士論文は必ず英語でなければなりません。

(2) 学位論文は本人にとって勉強してきたことの集大成です。 対象とする「読者」も、通常の投稿論文とは違いますし、 通常の研究論文と学位論文では目的も論文の性格も違います。 通常の研究雑誌に投稿する研究論文は必要最小限のコンパクトさと 簡潔さで結果を述べることが要求されます。 それとは反対に、 修士と博士の学位論文では、結果をただ述べるだけでなく 問題の背景やその分野の基本的な概念を 丁寧に説明する章や節を設けるようにお願いしています。


TeXに関すること

(1) まず、パソコンへのインストールが必要かもしれませんし、 ある程度基本的な使い方を知る必要があります。 図書で借りるか自分で購入して TeXの本 を手元に置いて 参照にするとよいと思います。 基礎や系統的な知識にはまずしっかりとした書籍が大事です。 TeX全般に関しては、例えば 奥村晴彦著「LATEX2ε 美文書作成入門」改訂第6版 (アマゾンへのリンク)あたりが最も定評があるようです。 一方、 手元にたまたま本が無いときにコマンドなど断片的な情報を調べる だけならばネット上のサイトを参考にすることも効率的です。例えば TeXのコマンド全般 , TeXのコマンド全般 , 矢印全般 などいろいろなサイトがあるでしょう。有用なサイトをPCのブラウザのブックマーク に入れておくとよいかもしれません。 コマンドを思い出す程度ならば、「TeX projective limit」などと適当な検索ワードで ネット検索してみてもよいでしょう。

(2) 実践してみないとわからないのでとにかく打ち始めてみましょう。 もし身近な先輩などでTeXファイルを くれる人がいたら、サンプルとしてもらってそれを手直しながら 取り組むのも手始めとしてはよいかもしれません。

(3) 数学の原稿をTeXで作成する場合は, 数式と文章がまじるので 特に気をつけることも沢山あり、「作法」を一通り把握しておかないと いけないでしょう。 数学の論文のTeXに関する作法に関しては、 小田忠雄先生による「数学の常識・非常識―由緒正しい TeX入力法」という文章がよく知られています。 日本数学会のページ内にある小田先生の文章のファイル へリンクを貼っておきます。ここに書いている「常識」を 事細かに指摘しながら添削するのは指導教員にとってもなかなか大変なので、 億劫がらずに書き始める前に必ず一通り目を通して「常識」 を把握していただき、その後もときどき目を通して欲しいと思います。 書かれていることの9割以上の内容は現在でも妥当な常識だと思います。 例えば、 何をローマン体で書かねばならないかなどの基本作法は 自分で確認して直しておいてください。 そうすれば、指導教員もより効率的に論文の直しを手伝えます。 上のリンクの文章にあるような基本をクリアしていてもらえれば、 より数学的でより哲学的なレベルでの論文指導と議論に時間が割ける と思います。

(4) 自分の論文内の定理(命題, 補題, 定義, 注意など)を引用する時は 必ず\begin{\theorem}\label{theorem:ABCDE}などとラベルづけてから 「定理\ref{theorem:ABCDE}」と ラベルで定理(命題, 補題, 定義, 注意など)引用しましょう。 くれぐれも「定理2.3によって」などと 直接TeX原稿上で定理番号を引用しないでください。 論文を書き直して番号が ずれるたびに「手動で」番号を直すのは骨も折れますし、絶対に番号ずれ のミスを誘導します。同じく、 数式も必ずラベル付けしてください。 \begin{equation}\label{equation:ABCDE}などとラベルづけてから 「式\eqref{equation:ABCDE}によって」などと引用するべきで、 くれぐれも直接「式(2.3)によって」などとTeX原稿で引用してはいけません。

(5) (ある程度正式に)人に原稿を見てもらうときには、その前に必ず overfulなどをはじめとするTeXのエラーはしっかり直しましょう(どうしても はみ出す時は、フォントサイズを臨時で小さくする、文章表現を少し 変える、などいろいろやれることはあるでしょう)。 英語の論文ならば スペルチェッカーのソフトでスペルミスをチェックして明らかな ミスはなくした状態で人に見せましょう。

論文作成上の一般的な注意

(1) いろいろな論文をサンプルとして眺めてみましょう。 よい論文を手本にして真似しましょう。残念ながらネット上の論文や査読を 経て正規の研究雑誌に掲載された論文でも「論文の体裁」や「英語の文法」 のよくないものもありますし、nativeの人の英語でも論文としては適切 でないものもあるかもしれません。 目にするものを何でも正しいと信じて真似するのもよくないと思います。

(2) 論文には必ずIntroductionをつけましょう。そして Introductionには自分の結果(主定理)を 明示的に書きましょう 。 Introductionは謂わば論文の顔です。雑誌やArchiveに 載せた論文は、専門家、非専門家に関わらず多くの人が目にして まずIntroをのぞきます。Introductionにおいては、忙しく短気な読者 が最も効率的に理解できて最も魅力を感じる書き方でその論文に 何が書いてあるかを説明しないといけません。もし Introductionでうまく読者が引きつけられれば その後の本文も読んでもらえるでしょう。 逆に、よくないIntroductionの例を幾つか挙げます。
論文で自分が得た定理をはっきり「定理」として入れていない Introductionはよくないと思います。その論文の「結果」が見やすく 明示的に述べられていないと 読者には不必要なストレスがたまるでしょう。 Introduction(やabstract)において、記号の説明や定義 を延々とはじめてはいけません。読者は疲れてしまうでしょう。 正確な定義は本文などを引用して暫定的な定義のみを与え、 結果や定理を述べるのが大事です。また、 自分の結果につながる研究動機や研究状況の背景も を述べていないのもよくありません(長くなる心配がある場合は簡単に触れて、 後で本文中においてしっかり説明すれば よいでしょう)。いきなり細論に入り複雑な結果を 述べるとその問題に関するごく少数の超専門家 以外は読む気がおこらないでしょう。

(3) Introductionの最後に 論文の構成の説明部分(Outline of the paper) をつけるとよいでしょう。Section 1では何々を行い, Section 2では 何々...という風に説明しておくと読む上で全体の構成が見通せて 読者としては心理的に落ちつきます。 しばしば、TeXのコマンド「\tableofcontents」を使って 論文のはじめに目次をつけることも 勧められます。

(4) Introductionの最後に「謝辞」をつけることもよくあります。 謝辞は世話になった人への感謝を述べたり、論文の立場や経緯を 説明することが目的です。 謝辞は簡潔でよいですがある程度具体的に 書くのが大事だと思います。例えば「研究に興味を持ってくれたことに 感謝する」などだとあまり意味がよくわかりません。

(5) 知られている結果を証明せずに述べるとき(定理や命題、場合によっては文中に埋もれた形で 述べるもの)はなるべく 誰に依る結果であるかを明らかにして、必ず最もオリジナルな文献である 論文や本を引用しましょう。 引用することで読者が必要に応じて文献を辿って検証することが できます。また場合によっては、書かれていることが本人の結果なのか 以前の誰かの結果なのかの誤解が生じません。歴史的な経緯を書くことは クレジットを明らかにする立場からも大事かもしれません。 その際、 参考文献の引用はなるべくピンポイントに 行いましょう。例えば、「(文献)[13]に述べられた以下の公式により」 などとして引用された文献が数百ページの本やとても長い論文だとすると、 読者は長大な文献の中からその引用された結果を探すのにとても苦労します。 「(文献)[13, 3章定理2.3] によって」と言った具合に必ず詳しい 番号などまで入れて引用するべきです。

(6) 他人の結果の引用だけでなく、自分の同じ論文の前の方での自分の議論を 引用して繋げて証明を展開する場合も、「Section 3.3での議論やSection 3.7の議論を 組み合わせることにより」「上で示したいくつかの結果を合わせることにより」 などと引用の仕方が曖昧でぼかされたものは読者泣かせです。 「式(2.3)と式(3.5)を組み合わせて次が得られる」などというように 自分の論文内の議論や結果の自己引用もなるべくピンポイントに しましょう。

(7) 既存の文献からの(引用元を明らかにしない )ほとんど一字一句同じコピーは不正行為となりますので注意しましょう。 特に修士論文などでは、教科書レベルの 基本的な定理や理論を復習して書くこともあります。 コピーペーストできる他人の論文や教科書が沢山あり、また内容が同じなので コピーペーストするしかないと思えるかもしれません。 仮にそういうほとんど同じ数学的内容を書かざるを得ない状況でも、 どういう文脈に置くかによって、あるいはその論文の流れの中では、表現すべきベストな 定式化は微妙に変わってくることもあるかもしれません。なので、 一旦それらの文献を閉じて自分の言葉で書き直すと 表現や設定なども変わってよいと思います。 Archiveなどでは、自分の昔の論文からのセルフコピーペーストも含めて、 コピーペーストの割合が高い論文は簡単な検索で調べて引っかかってしまう ので気をつけましょう。

(8) 記号の選び方は入念に練った上で決めてチェックを怠らないようにしましょう。 同じ文字を二つ以上の違う概念に使っている重複はないでしょうか。 何を大文字にするか何を小文字にするか、何にギリシャ文字を使うか、 何にどの字体を使うかなどが首尾一貫してわかりやすく 決められているでしょうか。 近い分野の論文を観察してそれぞれの概念に関して十分標準的な 記号を選ぶと読みやすいのではないでしょうか。 例えば、スキームはXやV, スキームの開集合はU, 閉集合はZ, 環はRやA (ring, anneau), ベクトル空間はV, Wなど、 その分野で慣習となっている記号は可能な限り踏襲した方が、大多数の読者が ストレスなく読めるのでよいでしょう。

(9) 定理などを書くときに設定をしっかり述べないでいきなり式や結論を書く のはよくないと思います。 定理や命題、補題などでは、状況設定や記号はしっかり最初に定めてから 本論を述べましょう

(10) 定理や命題のステートメントの中や証明の内部で (単なる記号の設定程度ではない)何かの概念の本格的な定義がはじまるのは 読む流れを阻害しますし、論文の構造もすっきりしません。 定理や命題のステートメントの内部や証明の議論で必要な「定義」や「概念」の導入は その直前で済ませましょう (証明で必要な準備は定理や命題の ステートメントと証明の間で行ってもよいかもしれません)。 定理や命題の証明の中で補題が現れその中で補題の証明が始まるのは 入れ子式になりよくないとされます。 定理や命題の証明のために、証明も与える必要がある補題があるときは 証明が入れ子にならないようにその直前で準備しておくようにしましょう。

(11) 論文は普遍的な文章です。 正式な文体で書かれなければなり ません。例えば、口頭発表の話し言葉や板書で使う表現と論文の 書き言葉は違うということをはっきり認識してください。 s.t , 存在記号, 任意記号なども 論文でそのまま使うのはよくありません。必ずsuch that と書いたり、文章で 「何々が存在して...が成り立つ」などと書きましょう。 また、英語での「actually」「of course」をはじめとした表現は 口語発表で入れると滑らかでときによい印象もありますが、こういった 感情や感嘆の副詞や間を繋ぐ表現なども論文では入れないようにしましょ う。

(12) 無駄が無いコンパクトな文章を心がけましょう 。 「Then, we will see that A implies B」「Then we can check that A implies B」 などの文章も口語研究発表では滑らかなつなぎに聞こえますが、 論文では「Then A implies B」「Thus A implies B」くらいでよいでしょう。 それを省いても情報が全く減らない意味のない表現は極力消すことを推奨します。 この考え方は日本語の場合も同様です。

(13) 文章解釈に誤解の余地や解釈の多様性を残さないように しましょう。 例えば、「定理Aと式Bと理論Cを用いて、以下の等式: a=b=c=d=eが成り立つ」 という文章が書かれていたとします。この式変形の何番目の等式に 上の3つのどの理由が用いられているのでしょうか? あるいは何番目かの等式はまた別の第4の理由によるのでしょうか? 著者は何番目の等号はどの理由かはっきりわかって書いているので 迷いが生ずる大変さを強く認識していないかもしれません。 しかしながら、あらかじめわかっているわけでない読者の立場からは 組み合わせの数が多く、読むのに無駄な時間と労力を使います。 何番目の等式にどういう理由を用いているかはっきり書いた方が良いでしょう。 類似の問題点はかなりよく見られます。また、上では論理的な理由付けの あいまいさがある数学的な状況を挙げましたが、 もちろん文章構成の解釈や言葉の解釈に多様性のある書き方 も避けましょう。

(14) 特に日本語の文章では 漢字表記と仮名表記の選択が文章内で統一されているか気をつけましょう 。 「ただし」と「但し」が混在、「満たす」と「みたす」が混在など 同じ言葉を違う仮名遣いで書いていることはありませんか? 同様に「1つ」と「一つ」など漢数字表記とアラビア数字表記が 混じっていることはありませんか?

(15) 論文のフォーマットは避けがたい理由がない限り、型を外れない 形式で書くべきでしょう。「定理(Theorem)」「命題(Proposition)」「補題(Lemma)」「系(Corollary)」「注意(Remark)」などの環境が基本だと思います。 逆に、「議論(Discussion)」「観察(Observation)」などという環境でコメントされていたことがいつの間にか後の証明で使われていたりするのは、結果を検証しづらい のでするべきではありません。見慣れない環境は読む側にも読みづらいので 論文として適切ではないと思います。上述の 型に当てはまらないことがあったら本当にそれを書くべきか? そのように書くべきか?も考えるべきでしょう。 脚注なども論文ではあまり用いない方が読みやすいでしょう。たいていのことは本文に書けますし大事なことを脚注に書かれると 見逃しにくくまた読みにくいです。まずは、内容 をしっかり吟味、取捨選択して通常の型や環境で書きましょう。

その他のコメント

(1) 書き上げてすぐの状態では、数学的ミスやタイプミス、誤字脱字などは沢山あると思います。 また、書きたての状態では文章が冗長だったり日本語や英語が おかしかったりすることが多いです。 書いたものを人に渡したり提出する前に何度も自己チェックをしましょう。ただ、得てして他人の論文の間違いは見つけやすいが、 自分のタイプした原稿の間違いは(頭の中で勝手に正しく修正変換されて) 見逃すことがあります。 (あらかじめスケジュールに余裕をもって早く書き上げ) 書き上げてから少し時間を置いて寝かせた後で見直す のも有効です。著者は頭の中で了解している設定説明や理由説明が 論文の中にはどこにも書かれていないミスがよくありますが、 書いてすぐの時は本人は細部を覚えているだけに論文の中での 「情報の欠如」に気づかないものです。少し寝かせて適度に忘れた状況で 自分の文章を読み返すと普通の読者の観点で抜けている情報や分かりにくい点 に気づきやすいです。 また、 (黙読ではなく)音読で通し読みしてみる、などの方法で誤植や読みに くい部分に気づくこともよくあります。

参考になる書籍や文章、映像など

上の文中で挙げた以外のもので論文を書く際に参考になるかもしれないものを 挙げてみます。

(1) 「数学のための英語案内」野水 克己 (著)は実際役に立つことが多い 数学の英語の本です。残念ながら絶版ですが、図書館や古本屋で 見つかるかもしれません。

(2) 日本数学会の雑誌「数学」の昔の号に載った 小林昭七氏による 数学論文の書き方(英語編) という論説も冠詞や単数複数といった基本にもしっかり触れてくれて有益で す。 古い文章なので今の時代に合わない記述も散見しますがそういう部分は差し引い て読めばよいでしょう。

(3) Tarence Tao氏による On writing というページもよく知られているようです。 論文を書くことに関する様々なアドバイスがあり、関連リンクも まとまっています。

(4) Serre氏の講演動画 How to write mathematics badly は含蓄もあり面白いです。

(5) 数学文章作法 基礎編 (ちくま学芸文庫) 結城 浩 (著) (アマゾンへのリンク) も必携の書です。 まず、一般的な文章術(漢字とかなや漢数字とアラビア数字の使い分け、章や節の タイトルの善し悪しなど細かいことだけでなく、明確な文章を書くための根本的な考え方まで) を親切に伝授してくれています。 もちろん、数式の混じった文における文章技術に関しても内容満載です。


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