そのウォンさんがつい先だっても来られまして、一杯飲みながら話していたら、
「小木曾さん、僕ね、もう六十八歳なんだけれど、
まだ日本に留学してよかったかどうかわかんないんだよ」
と言い出したんですね。
だけど、日本に留学した以上、好きだろうが嫌いだろうが、もう
日本とのかかわりで生きていくしかない、日本に留学した人は皆そうだと思う
と言うんですね。

片思いかも知れないけれども、
自分は何か日本のためになりたいと、今までもやってきたし、
今でもしょっちゅう日本に来ている。
シンガポールでは日本軍の民衆虐殺もあり、
日本の話をすると、生々しい戦争の思い出を持つ人から
「日本は信用できないんじゃないか」と、言われる。
そんなことはない、穂積先生という立派な人がいるし、
アジア文化会館というのがあって、自分らはこういうつながりで、
日本に友達もたくさんいる
と、ウォンさんは一所懸命日本を弁護するんだそうです。
ところが最近、靖国参拝の問題が起こって、
「やっぱり信用できないじゃないか」 と言われて、非常につらいと。
日本帰りの留学生というのは、かけがえのない青春時代を日本で送って、
日本に人生を預けた人たちです。
好きでも嫌いでも、日本との関係の中で生きていくほかはないという面があって、
その中で何かと日本のことから離れられなくて、例えば、
同じ頃に留学した同期生が年をとって家族とも離れて病院に一人でいると聞くと、
すぐお見舞いに行ってなぐさめたりしている、 というのです。

... ( 中略 ) ...

彼が言うには、
支援してくれとかそういうことじゃなくて、
自分が自国で誇りをもち、胸を張って「オレは日本帰りだ」と言えるような、
そういう日本と日本人であって欲しい。
それが最低の願いであると。
現状ではそうではないので、
やっぱり日本に留学したのは間違いだったかなと、 時々弱気になる。
彼は元々イギリス留学が決まっていたのを、
たまたま日本の文部省の奨学金がもらえたので、
イギリス行きをやめて日本に来たんですね。それで
「やっぱりあの時イギリスに行けばよかったかな」
とか、今でも思うことがあると言うのです。

実は同じような気持ちを持つ留学生は、特にアジアの国では多いんですね。
私は、こういう元留学生たちの本当に深い気持ちを、
少なくとも傷つけたり、踏みにじるようなことはしてはいけないんじゃないか
と、しみじみと感じるわけでございます。


( 小木曾 友「穂積五一とアジア文化会館」 ( 学士会会報 第860号 ( 2006年9月1日発行 ) 所収 ), pp.102--104 )