八つになりし年、父に問ひて云はく、
「仏は如何なるものにか候ふらん」 と云ふ。父が云はく、
「仏には、人の成りたるなり」 と。また問ふ、
「人は何として仏には成り候ふやらん」 と。父また、
「仏の教によりて成るなり」 と答ふ。また問ふ、
「教えへ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」 と。また答ふ、
「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」 と。また問ふ、
「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」
と云ふ時、父、
「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」 と言ひて笑ふ。
「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」 と、諸人に語りて興じき。


( 『徒然草』 第二百四十三段 ( 岩波文庫版 p. 412))