側近が心配して、葉山、那須への休養をすすめても、
「陛下はなかなか御用心深くて、 申し上げても御遠慮になって、御休養遊ばされなかった」。
というのも、 天皇にも多少気がひけるものがあったからで、
日中事変勃発のとき、天皇は葉山で静養中だった。
生物採集など、研究の都合だったろうが、すぐに帰京せず、
三日間そのまま滞在しつづけたことが、 軍の一部を反発させたのだった。
「この非常時に、陛下がものの役に立たない微生物の研究とは・・・・・・」
「そんな時間があるなら、もっと軍事を研究して頂きたい」


( 河原 敏明 『昭和天皇とその時代』 ( 文春文庫 ) p.173 )