自動車が便利な乗物であるということは疑う余地がない。 自動車を常用することによる精神的・肉体的な健康への障害をつよく意識して、 自動車を利用しないように努める人も少なくない。 また、自動車を中心とした都市環境に対して批判的な気持をもつ人々も 多いであろう。しかし、日本をはじめとして多くの先進工業諸国で、 自動車のもたらす効用を無批判に亨受する人々が多数を占めることは、 否定する余地のないことであろう。 そして、このような国々では、自動車を購入し、 運転するために各人が支払うべき費用は、 自動車利用によってえられる便益よりはるかに小さいのが 一般的な状況であるといってよい。 したがって、自動車に対する需要はますます増加するであろう。 しかも、このような自動車の普及は、 道路建設に対する政治的な圧力となってあらわれ、 自動車所有のもたらす私的な便益をますます大きなものとし、 自動車に対する需要をいっそう誘発することになる。

しかし、自動車の保有台数が増加し、 国土面積のより大きな割合が道路および関連施設に向けられるようになればなるほど、 自動車通行にともなう社会的費用は大きくなる。 自動車のもたらす社会的費用は、具体的には、 交通事故、犯罪、公害、環境破壊というかたちをとってあらわれるが、 いずれも、健康、安全歩行などという市民の基本的権利を侵害し、 しかも人々に不可逆的な損失を与えるものが多い。 このように大きな社会的費用の発生に対して、 自動車の便益を亨受する人々は、 わずかしかその費用を負担していない。 逆にいうならば、 自動車の普及は、 自動車利用者がこのような社会的費用を負担しないでもよかったからこそ はじめて可能になったともいえるのである。


(宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書), p.170)